Google Analytics Alternative CSS

帰ってきたミボウジン(2010/2/1)

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 02.2014 6 comments 0 trackback

Death is not tragedy to those who die;
it is only a tragedy to those who are left behind.
To go from darkness to light is not
something over which you should grieve.

If you grieve,
you are in reality grieving over your loss
and not for one who has in truth
become enfranchised.

He is better off.
He will no longer suffer
all the ills of the human body.
He will not be subjected
to the revarages of wasting disease.

 "The Silver Birch Book of Questions & Answers"
  edited by Stan A. Ballard and Roger Green/
  Spiritual Truth Press


 死は 死んでいく者にとっては 
 悲劇ではないのです
 あとに残された者にとっての 
 悲劇にすぎないということです

 暗闇の世界から 
 光り輝く世界へと 
 旅立っていくことは
 悲しむべきことでは ありません

 悲しんでいるのは 
 実は その人に先立たれた 自分のことであって
 肉体の檻から 解き放された その人のことを 
 悲しんでいるのではありません

 彼は 今までよりも 
 ずっと幸せになっているのです

 もう肉体の病に 苦しめられることが なくなったのです
 激痛に さいなまれることが なくなったのです


       【translated by ミツコ】
          自分なりに、感じたままに、翻訳しました。


*******************************

日本に帰ってきたころ
書いたショートストーリー風日記です。

先日も書いたように、

とくに この1月は自分の中での
ひとつの区切りのように感じるものがあり、

自分の心の軌跡を
キチンと形に残す、という意味で
シェアさせてくださいね……☆


*****



『帰ってきたミボウジン』
                             
1999年○月△日(金)


人はわたしののことを「ミボウジン」と呼ぶ。

ほかに「ゴケさん」という言葉もあるらしいが、
自称ツヤめいた、まだ若き可憐なミボウジンは、
「後家さん」という言葉にこもった響きがキライで、
そう呼ばれても返事をしないことに決めている。


最近アメリカから
日本の実家にもどってきた
ミボウジンの朝の日課は、
仏壇にまいることから始まる。

仏壇といっても実家は神道である。

「ブツ」と「シントウ」の
教義における違いはなんなんだ?と、
コムズカシイことを言われても、

アタシはクリスチャン寄りだからわかんないの……と
卑怯にも逃げるミボウジンだったが、

今日は仏間の一角にある亡き夫・フレちゃん
特設コーナーの写真を前に、
少しだけ神妙に座り
彼のことを思い起こしていた。



*****



フレちゃんが亡くなった知らせを
日本で受けた五月のとある日、

モロモロの理由から
ミボウジンはすぐさま渡米、
駈けつけることが叶わなかった。

その日、日本にいてフレちゃんの霊を弔うために、
さて海にいこうか山に行こうかと迷ったあげく、
結局、富士山麓の古い神社にまいることにした。

海に行くと、そうでなくてもショックで
フヌケ状態になっている自分の中から、
残っている「気」みたいなものまで、
全部外に流れ出ていってしまいそうな気がしたから、
ミボウジンは山にパワーをもらいに行くことに決めたのだ。


木々が鬱蒼と茂る深閑とした山の中、
樹齢五百有余年のご神木が
境内にはどかんとひかえていた。

ヒトのちっぽけな命の歴史は、
悠久な大自然、無言の重みの前に
ただうなだれる。

深く息を吸い込むと、
冷たく厳かな山の霊気が
胸の底に流れ込んできた。


ご神木を見上げ目を閉じる。


ヒトは何をもって
大切な人がこの世から「消えた」ことを
受け止めるのだろう。


長い長い闘病の末、
みずから旅立って逝くことを選んだ
フレちゃんの頑張りを褒めたたえた。

もう絶対会えない、
いない、地球上に存在しない、
声を聞くことはできないのだ……と、
「わざわざ」自分に追い討ちをかけるから、
泣けてしょうがないような気もする。

ふだんから
現実逃避が得意なミボウジンだったが、
いっそのこと、これ以上自分の心が壊れないために、
「フレちゃんは地球上のどこかで今でも生きている」
と思いこもうかな、とも思った。

「死」に対する定義、考察は
ヒト様々なのだけれど、
世間一般で言う「死んだ」という意味を、
キチッと真正面から受け止めないと
次のステップへ移ることができない、

まだ若いのに……逃避なんてしてると一生引きずるから……
だからちゃんと決別すべきだという意見もある。

でも生き残ったのはワタシだ。

一種の心理的サバイバル・テクニックとして、
「逃避だと知りながらも」「ウソだとわかっていても」
自分の心を軽くするように考える、思い込むのって、
そんなにいけないことなんだろうか……とフト考えた。

ミボウジンは、好きキライが激しいので、
寂しいから、とにかくそばにいてほしいから……と
無理矢理オトコのヒトを確保しておこうとは思わないのだが、

その反面、単純で惚れっぽい尽くし型、
フラフラしているようで必ずもどってくる、
自分で迎えにいく忠犬ハチ公型、
どこか抜けててアブなっかしい自分は、
いつか再婚するんだろうなと思っている。

そしてまわりが現実から逃避するなとか、
なんだかんだ言っても、
自分はフレちゃんのことをネガティブな意味で
今後引きずらないことを知っている。


なぜなら、ヒトを大切に思うことと、
引きずることは違うからだ。




1999年○月×日(土)



「あ、いるな……」と思うときがある。
そんなときは背後が急に重くなるのですぐわかる。

ひどく怖がりで薄情なミボウジンは、そーゆーときには

「いるのは、わかってるから、出てこなくていいっ」とピシャリ、
亡きダンナ・フレちゃんに言う。

夜中にそんな気配を感じたら、最悪である。

「絶対に出てくるんじゃない……!!」
「出てきたら、キライになるからねぇぇぇーーーー」などと、

半泣きでトイレに起き、コソコソと二階から降りていく。
 

昔から誰かのお葬式に出たりすると、
もうその晩は眠れなかった。
 
ひとり暮らしをしていたころには、
家中の電気をつけっぱなしにして、

テレビをつけ、ラジオをつけ、
外界とのつながりを必死に保とうとしたものだ。

帰国してから今まで夜はずっと、
妹と甥っ子たちの部屋に
イソウロウしていた。

しかし自分の部屋が完成した今日からは、
ひとりで寝なくてはいけない。

しくしく。

亡くなってからは、はじめてのことである。

だいぶ落ち着いた。
とはいえ、なにかのはずみで、お腹の底のほうからジ~ンと
「会いたいなあ……」と想いがこみあげてくることがある。

にもかかわらず、
やはり自分のダンナでもオバケはこわい。

これはたぶんに八歳のときに亡くなった父のことが
トラウマとなっているのだと思う。


*****


昨日の晩は、初めてフレちゃんの夢をみた。
病院のようなところへ遺体に会いにいくシーンだ。

夢ではなく、現実、実際にはどうだったかというと……

フレちゃんは、ニュージャージー州のプリンストンにある「テンエーカー」と
いうクリスチャン・サイエンスの看護施設で亡くなった。

ミボウジンはそのとき日本にいたが、
渡米前にFaxでも火葬許可証に
署名することはできるということだった。

しかし、あえてそうしなかった。

遺体はすぐ火葬にせず一週間後に渡米するまで、そのままにしてもらい、
ミボウジンが実際に遺体の安置されていたフューネラル・ホームへ行き、
配偶者として火葬許可証にその場でサインしてから、彼は火葬にふされた。

結局モロモロの理由から遺体は見なかった。

文化、宗教、風習の違いが大きく、
遺体を見る・見ないでいろいろとモメた。

アメリカ・サイドの親類・友人(プロテスタント、ユダヤ教など)は、
(妻であったミツコの意見を一番に尊重するが)
「遺体は見ないほうがいい」「故人もそれをのぞんでいる」と言った。

義姉、義妹、友人にとっては、「見ない」ことがふつうだった。

日本側、特に母は、
「見るべきだ」「死に顔を見なかったら死んだことが納得できない。
 妻なのだから。彼もそれを望んでいる。ちゃんとお別れしてくるべきだ」

という意見だった。ミボウジンは見たくなかった。

最終的には、どちらの側、誰にとっても納得のいく一番いい形となった。


しかしその見る・見ないの決断を下すまで、

「一週間後であっても、火葬される前に、死に顔を見たほうがいい」
と母から言われたときに、トラウマを引きずるミボウジンは
異常なほどの拒否反応を示し脅えた。

それが今回夢にまで、出てきたのかもしれない。



*****



そこは中東、エルサレムかどこか――
活気のある街で、中世風の石造りの家が
道の両脇にはたくさん並んでいた。

聞けば、そうした家の数々が「遺体安置所」だという。

右側にあった一軒に入っていく。
意気地のないミボウジンは
一緒だった母を先に追いやる。

戸をあけると、
そこにはベッドが八つぐらい並んでいた。

フレちゃんのベッドは
入り口に一番近いところにあった。


「えらかったね……あんなに長いこと……最後まで立派だったよ」

と言葉をかけ終わらないうちに、
彼はすうーっと起きあがった。

身体は、ミジンコあるいはゾウリムシのように半透明で、
神々(こうごう)しくもあった。


ニコニコ笑い、立っている。

するとまわりの人たちも
同じように続々と復活。

ニ、三、生き返らない死体もあった。

直腸癌で逝った彼は、
もう長いこと寝たきりだったから、

「立っている」姿を見るのは、
ずいぶん久しぶりのことだった。
最初は違和感さえあった。

夢の中で、自分でも
今はじめて気づいたように、

「そう。ほんとうはこの目線の高さだったんだよ……」
と、しみじみ思った。


四月末に、
もしかしたら最後になるかもしれないと思い、
フレちゃんがいた日本でいう
ホスピスのような「ハイリッジハウス」という
完全看護の施設に一晩、泊まったことがあった。

その晩、当時まだウィドウならぬミボウジンは
同じ棟の同じようなつくりの
別の部屋に泊まったのだが、そのときベッドの上で思った。

ああ、寝ていて、こうしてここから見える世界だけが、
いま彼に見える世界のすべてなのだと。

わたしだったら耐えられるだろうか。

介護による燃え尽き、
プレッシャーなどで自分自身も押しつぶされそうな中、
必死にがんばっているつもりではあったが、

彼のほんとうの辛さ、苛立ちを
半分もわかってあげていなかったな、
悪かったな……と深く反省した。

「立つこと」「座ること」、
身体を縦にすることが、
どれだけ体力を必要とするか、
たいへんなことなのか、健康な人は忘れてしまう。

ミボウジンの腕ぐらいの太さ、
骨と皮だけになってしまった脚で、
それでもフレちゃんは歩行器を使って歩こうとした。

車椅子にのり、
自分の手を使って行動範囲を広げ、
自分の世界を広げようとしていた。

腫瘍があって痛いのに、
いっしょうけんめい座る練習もしていた。

お金もなくなり、
仕事もなくなり、
家もなくなり、

自分の全身全霊を注いで
信じた信仰によって病が癒えることなく、
妻とは遠く離れて暮らさねばならなくなり――

「人間的な観点からのみ」言えば、
彼はどんなにかやりきれない気持ちで
いっぱいだったろう、無念だったろうと今思う。
 

そのフレちゃんが夢の中では立っていた。

芯から幸福そうな顔でにこにこして、
「立ったまま」抱きしめてくれた。

そうした姿でかえってきてくれたことは、
感動的ですらあった。

長いこと束縛を受けていた
「身体・容器」から解放されて、

向こうで幸せに元気にやっていることを
知らせにきてくれたんだなあと思った。


遺体安置所の中では、
ほとんどの人が復活してしまったから、

ベッドは全部すみに寄せられ、
日が差してきて、部屋全体が明るくなった。

フレちゃんは建物の中をいろいろ案内してくれたが、
デリのショーケースみたいな前で二人立ち止まる。

「ねー 今度来るとき、
 なんか食べ物持ってこようか? 
 何がいい? Sushi?」

見舞うたびに、
毎回訊いた同じ質問を
夢の中でもミボウジンはしていた。

すると、
食べ物がたっぷりつまったショーケースを指差し、
ここには、なんでもあるから、何もいらないよ……

と、彼はあたたかい日だまりのような笑顔で微笑んだ。


*****



「そういえば、昨日、フレデリックが来ていたね」

と、妹はいきなり言い出すことがある。

昔から霊能力のようなものがあった彼女は、
匂いでわかるのだそうだ。
もちろん見えることもある。


「向こう側」にいる誰かについて、
ほんのわずかでも考えれば、彼らの意識は
すぐさまここへ飛んでくるという。

逝ったひとについて、何かを思ったり考えたりすれば、
そのひとのエッセンスは必ず気づき、
ここまでやってきて深く慰めてくれるという。

  わたしは見えなくてもいいんだ。
  そのあたたかさを「感じる」だけでいい。

「いるのは、わかってるから、出てこなくてもいいよ……」


そんなことをつぶやきながら、
今日も電気をコウコウとつけっぱなしにして、

テレビも砂の嵐になってから、
ミボウジンはベッドのすみで丸くなり
ひとり眠りに落ちていくのだった。
     


..。o○☆*゜¨゜゜○☆*゜¨゜゜・*:..。*:..。o○☆*゜..。o○☆*゜¨゜゜゜○☆*゜¨゜゜・*:..。*



★書き続けていく大きな励みになります。
↓ 応援クリック、どうぞよろしくお願いします♪

にほんブログ村 ポエムブログ 英語詩へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ


..。o○☆*゜¨゜゜○☆*゜¨゜゜・*:..。*:..。o○☆*゜..。o○☆*゜¨゜゜゜○☆*゜¨゜゜・*:..。*


Category : Myself (自己)

ピュアさん


コメントありがとうございました!

ピュアさんも 大切な方々の死に向き合い
いろんなことを体験されてきたんですね。

何かが見えたり、聞こえたり、感じたり――
それは 本当は ごく自然のこと、ふつうのこと
日常生活の一部なのかもしれないけれど、

単なる気のせいで片づけちゃったり、
雑事に追われてそれどころじゃないと
邪険にしがちですよね。

でも  
自分のそういう感覚、
「感じる」「聴く」ってこと、
大事にしたいなあと思います。

ピュアさんの言葉を読んで、
わたしの場合も、
ひとの死は いつも隣にあったのに
なんで そんなにコワイのかな……?
と 思い返しました。

観るという部分では、
コワイから 自分で自分のスイッチ、
切ってるのかもしれません(^^)。


ピュアさんの方では
初雪だったのですね♪
いいなあ

静岡東部では
昨日は すっごく冷たい雨が ザーザー降ってました。
夕方 保育園迎えの帰り、運転しながら 子どもたちに 
こんなに寒いから 今晩は雪になるかもね~と話してましたが、、、
なりませんでした……(苦笑)
いつも応援 本当にありがとうございます☆


MITSUKO
2010.02.02 20:49 | URL | MITSUKO #- [edit]
yassepochi さん

コメントありがとうございます!
これを書いたころは
「後家さん」って 言葉
あんまり好きじゃなかったのですが、、、
今は 私的にはニュートラルな感じで、
当時ほど引っ掛かりません(^^)。

yassepochi さんのお友達の方々、
しっかりと悲しみに向き合い、
それを乗り越えてきた分だけ、
本当に 今はじけて、キラキラと輝いて
いらっしゃるんだろうなって 目に浮かびました☆

わたしの場合も、なんというか、
実母という 同じような道を通った
生き方のモデル像が 身近にいたことは
幸せなことだったのかもしれません。
そこから早く立ち直って、生き続けていくうえで。

Life goes on ――当時よく思った言葉です。
ひとが一人死んでも、
朝になれば太陽は昇り、鳥はさえずり、
また夕方には何事もなかったように陽は沈んでゆく。
それでも、人生って続く、
生きていかなくっちゃいけないんだよなあと。


yassepochi さんの
お父様やお母様、ご家族、そして周囲の方々との
深い絆、本当に温かい関わり方、
とってもうらやましいです、尊敬です、
わたしも そういうふうに これから
生きていきたいなあと 強く思います(*^_^*)
いつも応援ありがとうございます……☆


MITSUKO
2010.02.02 20:47 | URL | MITSUKO #- [edit]
MITSKOさん こんにちは。

つらい経験は
ひとの心の引き出しを多く深くしてくれるものなのでしょう。
そう信じてます。

普段、人とこういう会話はあまり機会もないのですが。
子どものころから
「ひとの死」はいつも隣にありました。
棺桶に納めるまでの間、
顔をさすり手を揉み
体が冷たくならないよう
硬くなってしまわないよう
誰かが常にそばに寄り添ってました。

通夜の夜も
お布団こそ違うものの横に寝て
寂しがらないよう、寂しくないよう。
大好きだったおばあちゃんが眠るお墓は
本当に大好きで よくつれてってもらってました。

それだからなのか、元々ヘンなヤツなのかは不明ですが(笑)
テレビやDVDなどで夏によくやる心霊スポットツアーのような番組を観ても
「ひとの目には見えにくいもの」に対するコワさは
私はほとんどないんです、フシギと。

部屋の鏡を出入りする白装束のかたたちに出会うこともたまにあります。
枕元に立つ優しい人を感じても
それは普通のことだと思いながら生きてます。

いま、こうしてコレを書いてる間にも
きっと部屋の中には誰かが一緒にいる。

冷たい空気が流れるときは望まないお客さま。
あったか~い空気がふんわり流れてくるときは
守ってくださってる大切な誰かだと、
勝手に思ってます(笑)


本当に怖いものは
生きてる人間のこころで
優しすぎるのもまた
そこにいてくれる誰かのこころかな。


☆昨夜の初雪にはしゃぎすぎ
 飲みすぎて今朝になってから我にかえりました。
 雪が夢でなかったことに嬉しさを。
2010.02.02 11:44 | URL | ピュア #LWshcgts [edit]
MITSUKOさん

ありがとうございます
父の葬儀はおかげさまで 一段落しました
次は49日の法要です

後家さんって 言葉よくないですね
ボクは この言葉 大嫌いですが
あえて ごめんなさいね 
今夜は 使わせてください

ボクの友人に何人か います
その 後家さんが
それぞれ いろんなもの背負ってます
でも みんな 元気です すごく
そして みんな 美しいです 女性です
独身なら デートに誘うなって 感じです

昨日も 後家さんの一人から
ソフトバレーで 慰めていただきました
ご香典もいただいて ボクはびっくりしてます
悲しみを しっかり持ってるけど
はじけてる後家さん
輝いてますよ

ありがとう MITSUKOさん
親父は いい人生でした
その分 おふくろが 苦労したのでしょうがね

遺族の挨拶で ボクが
”オヤジ以上 幸せな男は いないです!”
と 言ったので おふくろに
”おかあちゃんのときは
おふくろ以上 苦労した女は いないです!”と 言おうかねと問いました
おふくろは
”そうじゃない 私ほど 幸せな女はいないと
言って頂戴!”と 言ってましたよ
かわいいねと 愛おしかったです

ごめんなさい 長いコメントで。。
2010.02.01 23:14 | URL | yassepochi #- [edit]
yassepochi さん

コメントをありがとうございました!
長くなってしまいましたが、
最後まで 読んでくださって、
感謝&感謝です(*^_^*)

お父様のこと、
yassepochi さんの日記や詩を
読ませていただいて、
本当に これまですごくがんばってこられて
たくさんの方から愛されて
見守られて 旅立たれたんだなあと
胸がいっぱいになりました。

それから yassepochi さんが
いかに いつも周りの方々に
お心を配られているか、愛情をふりそそいでらっしゃるか、
なにかしみじみと感じられました。
お葬式に参列された たくさんの方々や、
お友達のお話など読ませていただく中で。。。


> 一度 MITSUKOさんと
> お酒 飲みながら お話伺いたいですね

いいですね、
わたしは 冷酒が大好きです……☆


MITSUKO
2010.02.01 19:44 | URL | MITSUKO #- [edit]
MITSUKOさん

超大作ですね
引き込まれました あなたの迫力に

ボクも 先週 親父が なくなりまして
葬式を 家族で 出したところです
いっぱい いっぱい 分かるなーって
ところが あって 嬉しいですね
親父が死ぬ前日 
親父は 歩けないはずの足で
歩いて 母親の元まで よたよた
歩いたそうです
それが 嬉しくて
母は 抱きしめて 頬ずりして
キスをしたそうです
それが 嬉しかったのかな?
親父は 翌日
最後の晩餐のあと
眠るように 亡くなりました
何も 苦しまず
そして たくさんの人たちに 愛されてね

人の死 って 深いですね
一度 MITSUKOさんと
お酒 飲みながら お話伺いたいですね

2010.02.01 00:15 | URL | yassepochi #- [edit]


  • password
  • Only the blog author may view the comment.

trackbackURL:http://mitsuko44.blog128.fc2.com/tb.php/34-25ffcfae
▲ top