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太陽はいつもそこに輝いているのに(2010/5/15)

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 23.2014 6 comments 0 trackback
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 行う価値のあること 
 成就するに 値するものほど
 達成するのが難しいのです

 楽には 達成できないものなのです
 困難や妨害 邪魔が はいるものなのです

 それらすべては 人格形成の一環であり
 どのように 対処するかによって 
 魂の成長が 決まるのです

 魂の奥に 内在する 最高の資質が
 簡単に 引き出せるとしたら
 それは 価値あるものとは いえません

 くじけては いけないのです
 
 己の内にある 霊的な資質を活かし
 克服できないほどの 
 大きな困難や障害は 絶対に生じません


          シルバーバーチの言葉より
                 (訳:ミツコ)

All the things that are worth doing
and worth achieving are those
that are the most difficult to perform.
The path of attainment is not an easy one.
It is full of difficulties, of obstructions,
of hamperings that come in the way.

Those things are part of the building of character,
so that in the way you face your difficulties
is determined the growth of the soul.

If you could allow the highest
that is within you to express itself without difficulty,
it would have little value.

Do not despair.
Remember there is no difficulty or obstacle
that crosses your path that is so strong
that you cannot overcome it
by the use of the latent powers
that you have within you.


The Teachings of Silver Birch (p 116)
Silver Birch Series
Edited by A.W. Austen




*******************************


早いもので
日本に帰ってきて
ちょうど 15年になります。

この5月の新緑の季節は 
わたしにとって

命の尊さ 
生きることを
再認識する

あたたかさと 
優しさにも 満ちた

忘れられない
季節です。



*******************************


太陽はいつもそこに輝いているのに





桜が あっというまに終わり

新緑の 力強い 
命の息吹と 風 薫る
近くの公園の横を
テクテクと歩き、
いつもの河川敷に到着。


振り返ってみると、
ちょうど雲から
朝陽が 顔を出したところでした。


「太陽はいつもそこにあるのに……」
そんな言葉が、頭の中に響いてきました。


わたしは 前の夫 
フレデリックが亡くなったとき、

諸事情から、
日本とニューヨークを1ヶ月に一度
行ったり来たりしていました。


別にカッコいい
ビジネス的な理由ではありません。


当時、もとバレエダンサーだった彼は、
細々と自宅で DTPの仕事や
弁護士事務所のタイピストをこなし、

わたしは 日系の保育園のアシスタントや
翻訳の仕事をしていましたが、


家計的には自転車操業、
いっぱいいっぱいで、

また彼の宗教的な信条もあり、
生命保険、医療保険等に
入ることはありませんでした。


しかし、彼が
通常の医学的治療を
一切 拒否したといっても、


最初に ガン告知を受けたときの
1週間の検査・点滴などの入院費が、
日本円で当時200万円近く
払えずにいました。


そして、不調を訴えだしてから約3年、
告知後8カ月の自宅介護のあと、

彼はホスピスのような場所に入り、
最後は そこで亡くなりました。


その入院料のようなものも
支払いが滞っていました。



お金がいちばん
大切じゃないことは わかっている


でも、毎日の生活のなかで
自分の精神が
ちゃんと安定できるだけの、

最低限 必要なお金は ほしい


多額の医療費による借金と、

いちばん身近な人が
今ガンで死につつある
プレッシャーと、

介護による
極度の疲れもあって


わたしは 心も身体も
押しつぶれそうに なっていました。



やがて 彼本人の希望で
ヒタ隠しにしていた ガンのことが、
日本の母にも 分かってしまいました。


それを聞き、
いてもたっても いられなくなった母と
妹、幼い甥っ子たちが

新年明け 早々
ニューヨークを訪れてくれました。


どこまで 進行したのか、
あるいは 自然療法やヒーリングによって
少しは 良くなっているのか、


外からは わからない
フレデリックの容態、


来月の家賃さえ
本当に払えるのか
わからない経済的問題、

これからのことを含めて、
わたしは母と
滞在中のホテルで 話をしました。


亡くなった場合、
お骨は 日本に 持ってかえるのか?



母にそこまで聞かれて
初めてわたしは、

今自分が直面している問題――


フレデリックは
今 まさに

死に逝きつつあるんだ 
ということを

現実的に
受けとめざるを えませんでした。



ベッドの上に
あぐらをかいて腕をくみ、

わたしはただ
ポロポロぽろぽろ
泣いていました。


憔悴しきっている わたしを見て、

母は いったん
日本に帰ってこい、と言いました。


よく考えた末、一時帰国。


日本に3週間、
ニューヨークに1週間という生活を
2ヶ月ほど続けました。



アパートもひきはらい、
自己破産の申請をしよう、


少し良くなったら
ニューヨークのオールバニーの
おねえさんのところへ

二人で行って しばらく療養し、
新しい生活のことを 考えよう、


また来るからね――


そんなことを話して、

わたしは4月末に
彼のもとを いったん去りました。



ニューヨークJFK空港上空を
大きく旋回した 飛行機の窓から、


今まで 一度も見たことのない、
壮絶なまでに 美しい

マンハッタン全景が 見えてきました。


雲ひとつない 青空のもと、
島南端から 同島を突き抜け、

本土ニューヨーク州を 北上し、

彼の故郷 オールバニー市に
至るかと 思われるほどの、

壮大な眺めが ひろがっていました。


それは、最後、

フレデリックからの
贈り物だったのかな、

と 今は思うのです。



何度か、飛行機で
日本とアメリカを 往復したときに、

よくこんなことを 思っていました。


下界は、
いつもジャージャー 雨が降ったり


雷、嵐やら
ひどい天気のときも 多いけれど、


いったん突き抜けて
雲の上にさえ 出れば、


こうやって いつも
太陽は 輝いているじゃないかと。


太陽は いつも
そこにあるじゃないかと。



目の前のことに
押しつぶされないては いけない、


もっともっと
上を 見ないといけない



つらいとき、

いつも自分に
そう 言い聞かせていました。


それから約2週間後、

フレデリックは
安らかに 眠るように
息を引き取りました。


義妹から 
電話がかかってきたとき

"He passed away ---"(亡くなった) 

という言葉を聞いたとき、


ああ、世の中には、

こんなにも悲しい英語が
あるんだなと思ったことを 

今でもよく覚えています。



今 在る わたしが、
もし、あのときの彼と
いっしょにいたらどうだっただろうか、


もっと何かできただろうか、
違っただろうか、
そんなふうにふっと考えることもあります。



でも、偶然はありえない、
すべては必然で、かならず意味がある――


わたしの中には、
後悔とか、

そういったもの
後ろ向きのたぐいのものは
一切ありません。



なぜなら

そのとき、
自分が 人間としてできることは、
すべて、やったからです。



そして、彼は
いまのわたしを
心から喜んでいてくれる
いつも応援してくれている と思うのです。





人間だから 
毎日 生きていると
本当に いろんなことがあります。

ときには もう ちょっと 耐えられない、
つらすぎる、しんどいな、と思うことがあります。


でも 心が折れそうになったとき
なにか 自分が
押しつぶされそうな問題に
出会ったときには


自分は いま ここから
何を 学ぼうとしているのかな?


どうしたら
自分の魂は 成長するのかな



そんなふうに 

チョコっと 一息ついて 

あのときの光景を 想い出すのです。



下界は、大雨洪水 どしゃぶり 
とんでもないような 天気のときにも


雲の上では 

いつも サンサンと
太陽は 輝いているのですから――





ミツコ


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Category : Myself (自己)

帰ってきたミボウジン(2010/2/1)

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 02.2014 6 comments 0 trackback

Death is not tragedy to those who die;
it is only a tragedy to those who are left behind.
To go from darkness to light is not
something over which you should grieve.

If you grieve,
you are in reality grieving over your loss
and not for one who has in truth
become enfranchised.

He is better off.
He will no longer suffer
all the ills of the human body.
He will not be subjected
to the revarages of wasting disease.

 "The Silver Birch Book of Questions & Answers"
  edited by Stan A. Ballard and Roger Green/
  Spiritual Truth Press


 死は 死んでいく者にとっては 
 悲劇ではないのです
 あとに残された者にとっての 
 悲劇にすぎないということです

 暗闇の世界から 
 光り輝く世界へと 
 旅立っていくことは
 悲しむべきことでは ありません

 悲しんでいるのは 
 実は その人に先立たれた 自分のことであって
 肉体の檻から 解き放された その人のことを 
 悲しんでいるのではありません

 彼は 今までよりも 
 ずっと幸せになっているのです

 もう肉体の病に 苦しめられることが なくなったのです
 激痛に さいなまれることが なくなったのです


       【translated by ミツコ】
          自分なりに、感じたままに、翻訳しました。


*******************************

日本に帰ってきたころ
書いたショートストーリー風日記です。

先日も書いたように、

とくに この1月は自分の中での
ひとつの区切りのように感じるものがあり、

自分の心の軌跡を
キチンと形に残す、という意味で
シェアさせてくださいね……☆


*****



『帰ってきたミボウジン』
                             
1999年○月△日(金)


人はわたしののことを「ミボウジン」と呼ぶ。

ほかに「ゴケさん」という言葉もあるらしいが、
自称ツヤめいた、まだ若き可憐なミボウジンは、
「後家さん」という言葉にこもった響きがキライで、
そう呼ばれても返事をしないことに決めている。


最近アメリカから
日本の実家にもどってきた
ミボウジンの朝の日課は、
仏壇にまいることから始まる。

仏壇といっても実家は神道である。

「ブツ」と「シントウ」の
教義における違いはなんなんだ?と、
コムズカシイことを言われても、

アタシはクリスチャン寄りだからわかんないの……と
卑怯にも逃げるミボウジンだったが、

今日は仏間の一角にある亡き夫・フレちゃん
特設コーナーの写真を前に、
少しだけ神妙に座り
彼のことを思い起こしていた。



*****



フレちゃんが亡くなった知らせを
日本で受けた五月のとある日、

モロモロの理由から
ミボウジンはすぐさま渡米、
駈けつけることが叶わなかった。

その日、日本にいてフレちゃんの霊を弔うために、
さて海にいこうか山に行こうかと迷ったあげく、
結局、富士山麓の古い神社にまいることにした。

海に行くと、そうでなくてもショックで
フヌケ状態になっている自分の中から、
残っている「気」みたいなものまで、
全部外に流れ出ていってしまいそうな気がしたから、
ミボウジンは山にパワーをもらいに行くことに決めたのだ。


木々が鬱蒼と茂る深閑とした山の中、
樹齢五百有余年のご神木が
境内にはどかんとひかえていた。

ヒトのちっぽけな命の歴史は、
悠久な大自然、無言の重みの前に
ただうなだれる。

深く息を吸い込むと、
冷たく厳かな山の霊気が
胸の底に流れ込んできた。


ご神木を見上げ目を閉じる。


ヒトは何をもって
大切な人がこの世から「消えた」ことを
受け止めるのだろう。


長い長い闘病の末、
みずから旅立って逝くことを選んだ
フレちゃんの頑張りを褒めたたえた。

もう絶対会えない、
いない、地球上に存在しない、
声を聞くことはできないのだ……と、
「わざわざ」自分に追い討ちをかけるから、
泣けてしょうがないような気もする。

ふだんから
現実逃避が得意なミボウジンだったが、
いっそのこと、これ以上自分の心が壊れないために、
「フレちゃんは地球上のどこかで今でも生きている」
と思いこもうかな、とも思った。

「死」に対する定義、考察は
ヒト様々なのだけれど、
世間一般で言う「死んだ」という意味を、
キチッと真正面から受け止めないと
次のステップへ移ることができない、

まだ若いのに……逃避なんてしてると一生引きずるから……
だからちゃんと決別すべきだという意見もある。

でも生き残ったのはワタシだ。

一種の心理的サバイバル・テクニックとして、
「逃避だと知りながらも」「ウソだとわかっていても」
自分の心を軽くするように考える、思い込むのって、
そんなにいけないことなんだろうか……とフト考えた。

ミボウジンは、好きキライが激しいので、
寂しいから、とにかくそばにいてほしいから……と
無理矢理オトコのヒトを確保しておこうとは思わないのだが、

その反面、単純で惚れっぽい尽くし型、
フラフラしているようで必ずもどってくる、
自分で迎えにいく忠犬ハチ公型、
どこか抜けててアブなっかしい自分は、
いつか再婚するんだろうなと思っている。

そしてまわりが現実から逃避するなとか、
なんだかんだ言っても、
自分はフレちゃんのことをネガティブな意味で
今後引きずらないことを知っている。


なぜなら、ヒトを大切に思うことと、
引きずることは違うからだ。




1999年○月×日(土)



「あ、いるな……」と思うときがある。
そんなときは背後が急に重くなるのですぐわかる。

ひどく怖がりで薄情なミボウジンは、そーゆーときには

「いるのは、わかってるから、出てこなくていいっ」とピシャリ、
亡きダンナ・フレちゃんに言う。

夜中にそんな気配を感じたら、最悪である。

「絶対に出てくるんじゃない……!!」
「出てきたら、キライになるからねぇぇぇーーーー」などと、

半泣きでトイレに起き、コソコソと二階から降りていく。
 

昔から誰かのお葬式に出たりすると、
もうその晩は眠れなかった。
 
ひとり暮らしをしていたころには、
家中の電気をつけっぱなしにして、

テレビをつけ、ラジオをつけ、
外界とのつながりを必死に保とうとしたものだ。

帰国してから今まで夜はずっと、
妹と甥っ子たちの部屋に
イソウロウしていた。

しかし自分の部屋が完成した今日からは、
ひとりで寝なくてはいけない。

しくしく。

亡くなってからは、はじめてのことである。

だいぶ落ち着いた。
とはいえ、なにかのはずみで、お腹の底のほうからジ~ンと
「会いたいなあ……」と想いがこみあげてくることがある。

にもかかわらず、
やはり自分のダンナでもオバケはこわい。

これはたぶんに八歳のときに亡くなった父のことが
トラウマとなっているのだと思う。


*****


昨日の晩は、初めてフレちゃんの夢をみた。
病院のようなところへ遺体に会いにいくシーンだ。

夢ではなく、現実、実際にはどうだったかというと……

フレちゃんは、ニュージャージー州のプリンストンにある「テンエーカー」と
いうクリスチャン・サイエンスの看護施設で亡くなった。

ミボウジンはそのとき日本にいたが、
渡米前にFaxでも火葬許可証に
署名することはできるということだった。

しかし、あえてそうしなかった。

遺体はすぐ火葬にせず一週間後に渡米するまで、そのままにしてもらい、
ミボウジンが実際に遺体の安置されていたフューネラル・ホームへ行き、
配偶者として火葬許可証にその場でサインしてから、彼は火葬にふされた。

結局モロモロの理由から遺体は見なかった。

文化、宗教、風習の違いが大きく、
遺体を見る・見ないでいろいろとモメた。

アメリカ・サイドの親類・友人(プロテスタント、ユダヤ教など)は、
(妻であったミツコの意見を一番に尊重するが)
「遺体は見ないほうがいい」「故人もそれをのぞんでいる」と言った。

義姉、義妹、友人にとっては、「見ない」ことがふつうだった。

日本側、特に母は、
「見るべきだ」「死に顔を見なかったら死んだことが納得できない。
 妻なのだから。彼もそれを望んでいる。ちゃんとお別れしてくるべきだ」

という意見だった。ミボウジンは見たくなかった。

最終的には、どちらの側、誰にとっても納得のいく一番いい形となった。


しかしその見る・見ないの決断を下すまで、

「一週間後であっても、火葬される前に、死に顔を見たほうがいい」
と母から言われたときに、トラウマを引きずるミボウジンは
異常なほどの拒否反応を示し脅えた。

それが今回夢にまで、出てきたのかもしれない。



*****



そこは中東、エルサレムかどこか――
活気のある街で、中世風の石造りの家が
道の両脇にはたくさん並んでいた。

聞けば、そうした家の数々が「遺体安置所」だという。

右側にあった一軒に入っていく。
意気地のないミボウジンは
一緒だった母を先に追いやる。

戸をあけると、
そこにはベッドが八つぐらい並んでいた。

フレちゃんのベッドは
入り口に一番近いところにあった。


「えらかったね……あんなに長いこと……最後まで立派だったよ」

と言葉をかけ終わらないうちに、
彼はすうーっと起きあがった。

身体は、ミジンコあるいはゾウリムシのように半透明で、
神々(こうごう)しくもあった。


ニコニコ笑い、立っている。

するとまわりの人たちも
同じように続々と復活。

ニ、三、生き返らない死体もあった。

直腸癌で逝った彼は、
もう長いこと寝たきりだったから、

「立っている」姿を見るのは、
ずいぶん久しぶりのことだった。
最初は違和感さえあった。

夢の中で、自分でも
今はじめて気づいたように、

「そう。ほんとうはこの目線の高さだったんだよ……」
と、しみじみ思った。


四月末に、
もしかしたら最後になるかもしれないと思い、
フレちゃんがいた日本でいう
ホスピスのような「ハイリッジハウス」という
完全看護の施設に一晩、泊まったことがあった。

その晩、当時まだウィドウならぬミボウジンは
同じ棟の同じようなつくりの
別の部屋に泊まったのだが、そのときベッドの上で思った。

ああ、寝ていて、こうしてここから見える世界だけが、
いま彼に見える世界のすべてなのだと。

わたしだったら耐えられるだろうか。

介護による燃え尽き、
プレッシャーなどで自分自身も押しつぶされそうな中、
必死にがんばっているつもりではあったが、

彼のほんとうの辛さ、苛立ちを
半分もわかってあげていなかったな、
悪かったな……と深く反省した。

「立つこと」「座ること」、
身体を縦にすることが、
どれだけ体力を必要とするか、
たいへんなことなのか、健康な人は忘れてしまう。

ミボウジンの腕ぐらいの太さ、
骨と皮だけになってしまった脚で、
それでもフレちゃんは歩行器を使って歩こうとした。

車椅子にのり、
自分の手を使って行動範囲を広げ、
自分の世界を広げようとしていた。

腫瘍があって痛いのに、
いっしょうけんめい座る練習もしていた。

お金もなくなり、
仕事もなくなり、
家もなくなり、

自分の全身全霊を注いで
信じた信仰によって病が癒えることなく、
妻とは遠く離れて暮らさねばならなくなり――

「人間的な観点からのみ」言えば、
彼はどんなにかやりきれない気持ちで
いっぱいだったろう、無念だったろうと今思う。
 

そのフレちゃんが夢の中では立っていた。

芯から幸福そうな顔でにこにこして、
「立ったまま」抱きしめてくれた。

そうした姿でかえってきてくれたことは、
感動的ですらあった。

長いこと束縛を受けていた
「身体・容器」から解放されて、

向こうで幸せに元気にやっていることを
知らせにきてくれたんだなあと思った。


遺体安置所の中では、
ほとんどの人が復活してしまったから、

ベッドは全部すみに寄せられ、
日が差してきて、部屋全体が明るくなった。

フレちゃんは建物の中をいろいろ案内してくれたが、
デリのショーケースみたいな前で二人立ち止まる。

「ねー 今度来るとき、
 なんか食べ物持ってこようか? 
 何がいい? Sushi?」

見舞うたびに、
毎回訊いた同じ質問を
夢の中でもミボウジンはしていた。

すると、
食べ物がたっぷりつまったショーケースを指差し、
ここには、なんでもあるから、何もいらないよ……

と、彼はあたたかい日だまりのような笑顔で微笑んだ。


*****



「そういえば、昨日、フレデリックが来ていたね」

と、妹はいきなり言い出すことがある。

昔から霊能力のようなものがあった彼女は、
匂いでわかるのだそうだ。
もちろん見えることもある。


「向こう側」にいる誰かについて、
ほんのわずかでも考えれば、彼らの意識は
すぐさまここへ飛んでくるという。

逝ったひとについて、何かを思ったり考えたりすれば、
そのひとのエッセンスは必ず気づき、
ここまでやってきて深く慰めてくれるという。

  わたしは見えなくてもいいんだ。
  そのあたたかさを「感じる」だけでいい。

「いるのは、わかってるから、出てこなくてもいいよ……」


そんなことをつぶやきながら、
今日も電気をコウコウとつけっぱなしにして、

テレビも砂の嵐になってから、
ミボウジンはベッドのすみで丸くなり
ひとり眠りに落ちていくのだった。
     


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Category : Myself (自己)

白木の箱(2010/1/20)

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 01.2014 8 comments 0 trackback



Learn to be free.
Do not imprison yourself.

Do not hedge yourself around
and refuse to allow new insperation
to come to you.

Truth is the constant search.
Its boundaries are ever widening,
for as the soul evolves the mind responds.

  "TEACHING OF SILVER BIRCH"
    edited by A.W.Austen

自由である ということが
どういうことであるかを
悟らねばなりません

魂を牢に 閉じこめてはいけません。
周囲を垣根で 取り囲み、
新しい インスピレーションを
拒絶するようなことを 
してはいけません

真理の道は
永遠に尽きることない探求です
その境界線は 無限に広がり続けます

魂が進化するほどに
精神も それに反応していくものです

「シルバーバーチは語る」
  A.W.オースティン編/近藤千雄 訳



*******************************



『白木の箱』



妹は はしゃぎまわっていた。
母は 目を真っ赤に泣き腫らしていた。

土曜日の早朝だった。

たくさんの人が
ウチに来てくれて
賑やかになって嬉しい

それは幼い妹の
単純な しかし哀れな喜びだった。

8歳の夏、夜中に 突然うめき声をあげ
苦しみだした父は 脳溢血で 
そのまま帰らぬ人となり、
母は29歳の若さで 未亡人となった。

まわりの大人は
みな嘆き悲しんでいたが、
布団に寝かされた父の顔を見て

「ここにあるのは、ただの抜け殻なのに。
 魂はもうここにないのに……。
 どうしてみんな、そんなに悲しむのだろう」

私はそんなことをぼんやりと考えていた。

父の鼻や耳には
脱脂綿が つめられ
触れた額は 氷のように
冷たかった。

訪れた大勢のイトコや妹と私は
子供部屋で遊んでいたが、

1時間に一度は父が眠る 
八畳間に戻ってきて、

少し高い台の上に置かれた
蝋燭に 背伸びして
線香をかざし
火をつけ 父の霊を弔った。

ドライアイスに 身を囲まれた父は
通夜のときも 布団に寝かせられたままだったが、

いつのまにか部屋の片隅には、
カラの大きな白木の棺が置かれていた。

その晩 私は叔母の膝の上で
いつのまにか ぐっすり眠り込んでしまったが、

目を覚ますと
父はすでに その大きな
白木の箱の中に入っていた。



亡くなる1週間ほど 前に
家族でデパートに行ったとき、
父は ある革のベルトに目をとめた。

それが たいそう気に入り
買おうとしたが、給料日の前だったので
金曜日まで待つことになった。

しかし母は 何かの理由で
その日 デパートへ行くことができず、
父にあやまり 来週まで待ってくれるよう頼んだ。

そのとき父は
「いや、いいんだ。
 でも間に合わなかったな……」
とポツリこぼしたという。

その土曜日の午後、
私と母が いっしょにデパートで買ってきたベルトが、
今は棺に納められ 胸の前で合掌した
父の手元に添えられていた。



父の骨は白かった。

前日まで 何の健康上 問題もなく
普通に暮らしていたのだから、

衰弱して亡くなった人々とは違い、
その骨はガッシリとしたものだった。

革のベルトのバックルの部分を
灰の中に見つけた私は、それもいっしょに骨壷
の中に入れてあげた。

あれほど 大きかった父の身体は
こんなにも 小さくなってしまった。

しかし骨壷に納められた
その身体は 今は 
とても 温かだった。


*****



亡くなってしばらくして、
学校で 社会科見学のようなものがあった。

町外れにあった 大きなゴミ焼却場を見学して
家に戻ってきた私は、

母とそのときちょうど家を訪れていた叔父に、
今日学校でこんなことがあったんだよと報告し、

最後に「思い出しちゃったよ……」と
ボソッと つけ加えた。

「何が……?」
「いいから言ってごらん」
叔父と母にせかされた。

「お父さんが焼かれたときのこと……」
「今日、隙間から火が見えたんだよ」

5分か10分ほどして、
私はテーブルの陰で 母が叔父の膝に突っ伏し、
ほろほろと 泣いていることに気づいた。

母はその晩 半狂乱になった。
母が一番頼りにしていた
すぐ上の姉に電話がかけられた。

叔父は「ミツコが悪いんだぞ」と言った。

憑かれたように泣き続け、
叔母から子供のようになだめられ
ベッドに寝かされる母を見ながら、
私もぽろぽろと泣いた。


*****


父が亡くなってから、
毎日夕方になると 妹と母の3人で
墓参りをした。

お墓にある水道の水じゃ、
お父さんがかわいそうだから、
と家からヤカンに水を入れ
毎日持っていき、

まだ新しく土が盛られただけの
墓の石の上に水をかけてあげた。

線香に火をつけるときになると、
妹は 保育園で習ってきた
「燃えろよ、燃えろ」の歌を歌った。

線香に火がつき、なかなか炎がおさまらないと、
これはね、お父さんが喜んでるんだよ……
と妹は言った。

ある夕方、墓を訪れた
私達3人は ぎょっとしてしまう。

その土の上を十字を切るようにして、
縦に横に幅10センチほど、土がぼこぼこと
気味悪く盛り上がっていたからだった。

お父さんが、
なんか怒ってるのかな……
妹は言った。

しかしそれは、酒の好きだった父に
給料日前、死ぬ前に存分に酒を飲ませて
やれなかったことを 深く悔いた母が、

その丸い墓石の上に毎日酒をかけたことで
モグラがやってきて、トンネルを掘ったことにより
できたものだと判明した。

それから母は 墓石に
酒をかけることをやめた。


*****


写真の中で 微笑む父は、
ずっと39歳で止まっている。

私は 母や妹とはあまり似ていない。


私は非常に身体の弱い子供だった。
そして深く深く父に愛された。

父が亡くなって1ヵ月ほどして
私は肺炎にかかり、病院に行くのがあと1日
遅れていたら手後れだったと言われた。

周囲の人々が、ミツコのことを
うんとかわいがっていたから、
きっと心配で 心配でしょうがなくて、
いっしょに 連れていきたかったんだろうね……

と話していたことを 
今は 思い出す。





MITSUKO



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Category : Myself (自己)

ただ無心に、踊りはじめたころ

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 29.2010 2 comments 0 trackback


Anything which binds,
which cramps the soul,
which prevents it
from having full expression,
must be swept away.


  "TEACHING OF SILVER BIRCH" (p91)
   edited by A.W.Austen/
   The Spiritual Truth Press


 魂を 縛りつけるもの 
 魂に 足かせをはめるもの

 魂が 輝き ほとばしろうとするのを
 阻むものは すべて 捨て去らねばならない


       【translated by ミツコ】


*******************************



『ただ無心に、踊りはじめたころ』



まだ家人 寝静まる早朝に
ひとり家を抜け出し
近くの河川敷まで歩く。


何がそんなに
心地よいのか


無心になる

それは何かの
夢心地に似ていた。


ただ 無心に
踊り始めたころ

とうに忘れかけていた
記憶の断片が
わたしの胸に蘇り

命の息吹を
いまいちど ほとばしらせたのだ。



*****



最近では テレビのインタビュー番組などにも 
フツウに登場する
バリバリで 才能豊かな天才ダンサーの方々とは違って、

わたしは一般庶民型のペーペー、
コールド専門のバレエダンサーだったが、

8歳のころから25年間ほど、
ずっと踊っていた時期があった。


渡米留学したのも、
バレエをもっと勉強したかったから。

「踊りで食べていける」チャンスのある土壌、
懐の深いアメリカという国で

自分を精一杯
試してみたいと思ったからだった。


バレエを習いだしたのは、
小学校2年生のころで、

3歳から習い始める子ども達も多い中で、
わたしは遅いぐらいだった。


当時「赤い靴」という、
バレエを題材にしたテレビ・ドラマが流行っており、
わたしはその番組が大好きだった。


小学校1年生のころには
学校から帰ってくると、

白い上履きをトウシューズに見たて、
コンクリートのテラスの上で、
隣家の女の子と、つま先だって
毎日バレエのお稽古ごっこを楽しんでいた。


そんななか、母の知人宅で、
モダンバレエの先生が教室をひらくことになった。

最初、生徒はその家の女の子とわたしだけ。

クリスマスも近い
ある12月の晩に
わたしはその家の
洋間の片隅で 踊り始めた。


やがて生徒も増えて、1年ほどしたころ、
先生が赤ちゃんを産むというニュースが伝わった。

みんな熱心に通っていたので、
お稽古場を閉めるのは
もったいないということになり、

その先生が、近隣地域に、
いくつもお稽古場をもつ
クラシックバレエの先生をさがしてくださり、
お稽古はその先生にバトンタッチされた。

そして、わたしは、ますます踊りに
のめりこんでいき、バレエのお稽古は
何ものにも代えられない喜びとなった。



小学校3年生の7月に父が急死する。

まだ大きなショックに打ちひしがれているなかで、
29歳だった母は、わたしと3歳違いの幼い妹をかかえ、
必死に生きていかねばならなかった。

母は、結婚前に務めていた職場にもどり、
事務経理の仕事を男性並みに夜遅くまでバリバリとこなし、

週末はダスキンの配布交換スタッフとして
自転車で地域の家庭をまわり、
休む間もなく働いていた。



そして、ある日
わたしは母に呼ばれた。


当時、バレエの他に珠算と習字を習っていたのだが、
珠算や習字は、なにかの役に立つかもしれない、
でもバレエはそうじゃないから、

お父さんも死んで
お母さんひとりで働かなければならなくなって
家計がすごく苦しい、

だから悪いけれど、
バレエはやめてくれないか、

そう母は済まなそうに告げた。



「うん」



母の大変さを
よく知っていたわたしは、

そんなこと何でもないように、
素直にうなづいた。


子ども部屋の六畳間にもどると、
わたしは頭から蒲団をかぶった。


そんなこと、
なんともないはずなのに、

目のふちいっぱいに
涙が盛り上がってきて、

後から後から、
涙がボロボロ出てきた。



しばらくして、
心配した母が
わたしを見に来た。


声をあげないで、
ただボロボロぼろぼろ……

泣いている娘の姿を
哀れに思ったのかもしれない。



母は、ベッドの枕元に
しばらく無言で腰掛けていたが、

とつぜん意を決したかのように、


「わかった……」
「お母さん、その分がんばって働くから」
「だから一生懸命やりなさい」

そう言って部屋を出て行った。




その後、中学後半からは
わたしはバレエ一本に絞り、
毎日のように、厳しい稽古をうけ、

日曜日は、静岡から東京へ
稽古に通うようになった。


高校時代は、午後の授業は早退し、
東京のバレエ学校へ、週4、5回通い、
試験勉強は、各駅停車の東海道線の中で行い、
帰りは毎晩、最終の東名バスで帰ってくるような
日々を繰り返すようになった。


母は嫌な顔もせず、
バス停からの夜遅い道を歩く娘を気遣って
妹といっしょに、大きな懐中電灯をもって
迎えに来てくれた。


まさか、そのころ母は、
わたしが渡米するとは
思ってもみなかったことだろう。



踊ることイコール
自分の人生のすべてだと思いこんでいた
蒼く淡い時代もあった。


ただただ、無心になって踊っていた、
遠いむかしの、わたしの記憶の断片だ。




今は まったく踊りから
離れてしまった自分がここにいる。



否、わたしは 踊ることを
止めたわけではなかった。



自らを外に向かって
解き放ち 表現しつづけること――


それは 私にとって 
踊ることと 同義だった。




MITSUKO



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Category : Myself (自己)

ミツコのプロフィール

Posted by ミツコ (MITSUKO) on 01.2009 0 comments 0 trackback
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ミツコのプロフィール


はじめまして
ミツコです。


このブログでは、
「本当の自分」との対話――

  今ここに幸せで在ること
  豊かさが満ちていること

  どんなときでも「本当の自分」につながり
  「最高の自分」を いまここで 
  自由に のびのび 心豊かに生きること

  常に 最善なるものを意識すること

  自分自身の置かれている状況が
  いかなる状況であろうとも
  その状況の中に 祝福を見出すこと

  Awakefulness 目覚めていること――
  自分が真に望む未来を 豊かに創り上げていくこと 


日々 湧き上がってきた言葉を 
自由詩、物語詩、瞑想詩などの形で 
シェアさせていただきたいなと思っています。




自己紹介をします。


名前:ミツコ MITSUKO

1966年生まれです。


大切にしていること:

  「表現すること」
  「つなぐこと」

   この一瞬一瞬を 意識的に
   心豊かに ていねいに生きること
   自覚をもって 生きること です。

   「Myself(自己)」


今はまったく踊っていませんが 
子どものころから ずっとバレエを習い、
ダンスを長くやっていたことから

1990年 
 アメリカ、ニューヨークへ
 ダンス留学しました。 

1992年 
 アメリカ人と結婚 

1999年
 前夫が ガンで亡くなり
 日本に戻ってきました。

    「君に捧ぐ」


そして 

縁あって再婚し

今は 7歳の娘、
もうすぐ4歳になる息子がいます。

   子どもたちへ


これからも
日々 学び続けながら

もっともっと 本来の自分を自由に
のびのびと 生きたい

たくさんの夢をかなえながら
ワクワク心豊かに 生きたいなと 思っています。


このブログで シェアさせていただく言葉たちが、

自分が望む未来をいま 確かに創造し 
築きあげていこうとしている あなたに


この かけがえのない
一瞬一瞬を 愛しみながら
輝きながら 生きている あなたに

なにか お役に立つ部分があれば
とっても 嬉しく思います。



最後まで 読んでいただき
ありがとうございました。


あなたと出逢えたご縁に
心から 感謝します……☆



ミツコ 
MITSUKO







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